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子育てまごまご日記 (その10)

 

早いもので、あと1か月経つと1歳の誕生日を迎えるところまで来た。昨日、娘とババ様の大きな拍手と「すごい」という歓声が、リビング中に鳴り響いた。何があったのかと、跳んで行くと「6歩も歩いたのよ」とかなり興奮ぎみで話をしてくれた。本人も心なしか嬉しそうであった。

私に見せたいと思ったのか、娘がもう1回と言って、本人も試みたが上手くできなかった。ただ、孫もこれからほんのしばらくの間、歩いただけで褒められる栄光の日々を過ごすことができる。

 

考えてみると息子や娘たちが歩き始めたその頃を、殆ど覚えていない。人間は成長するにつれて歩くし、そのうち走り始め、それは当たり前のことで、驚くことではない、と思っていたのであろう。それでは駄目だったと今になって反省している。何か出来た時は一緒に喜んであげなければいけないし、泣いている時は何故悲しいのか、その子の目線から物事を見なければいけない。大人は自分のモノサシを持っているが、そのモノサシをあてはめるのが教育ではなく、その子の状況に応じてモノサシを変えてあげる必要がある。どこで変えてあげるか、その判断が難しいが、子供に寄り添っていれば自然に感じるものであると思っている。上から目線とは、よく言ったもので、その反対がアンダースタンド。つまり、理解するためには下に立て、というメッセージをその英語の単語は教えている。

 

それに関して、ちょうどいい記事があるのでそれを紹介したい。今年の1月6日付の『東京新聞』の「筆洗」という欄に載っていた文章であるが、一部紹介をする。

その少女の寝室には、北向きの窓があった。窓から見える星空が、十歳の女の子を夢中にさせた。じっと見続けていると、星のめぐりが分かる。眠るのが惜しくなって、夜更かしをする。だから、お母さんは、大声をださなくてはいけなかったという。「一晩中、窓から頭を出し続けるのはやめなさい」。だが、少女は見続けた。

この少女が米国の天文学者のベラ・ルービンさんで、もし生きていたならばノーベル賞を受賞できたと言われているのだが、彼女の幼少期のエピソードである。彼女は宇宙の謎の物質「ダークマター」が存在する証拠を見つけるという功績を上げている。

この話を取り上げる理由は、「モノサシ」のあて方の例として考えて欲しいと思ったのであるが、お母さんは自分の「モノサシ」で「寝なさい」と叱っている。親として当然の行動かもしれないが、場合によってはその子の才能の芽を摘み取ってしまうことがある。ただ、彼女の場合は構わずに、夜空の星をいつまでも見続けた。そして、お母さんは娘が余りにも星に興味を示すので、いつの間にか寄り添って、一緒に星を眺めていたと信じたい。

 

孫のことに話を戻す。この1ヶ月でできるようになったのは、首を横に振ってイヤイヤの仕草と、「ばあば」「あんぱんまん」といった言葉らしきものを発するようになったことである。それぞれ意味は殆ど分かっていない。娘のリクエストに応えて首を振ったり、言葉を発しているという感じである。

 

人見知りも夜泣きもまだする。というか、神経が細かいので、当分続くのではないかと思っている。子育ての大変さをこの歳になって感じさせてもらい、いい勉強をしていると思っている。