子育てまごまご日記(その7)

 

8ヶ月が過ぎた。8/12なので、通分して2/3。ハーフバースディがあるのだから、2/3バースディがあってもいいと思うのだが……。そのようなことを考える程、子育て、孫育ては大変である。

 

何が大変かって? 赤ん坊とは言え、一応人間。意志もあれば、感情もある。大人は意志と感情の出し方が傍から見ていて分かる。幼子はその予測がつかないので、戸惑うこと、しばしばである。今日も夕方お風呂に入れる準備をするので見ていて欲しい、と言われたので「はいよ、分かった」と言ってダッコをしたものの、娘、つまり自分の母親がいなくなったとたんに、ギャン泣きをし始めた。参るで、ごわす。あげくの果てに「お父さんのダッコの仕方が悪いのよ、片方の手をおしりの下に入れて……」と、娘主催のダッコ講座がいきなり始まった。「あのを……、そういう問題ではないと思うんですが……」と心の中でつぶやきながらも、素直に従う私。

 

まだ娘が小さい頃、名古屋の実家に2人の子どもを連れて、家族4人で里帰りしたことがあった。確か正月をはさんで数日間滞在したが、我々が帰京してから母親、つまり私の実母が疲れて寝込んでしまったことがある。その時は、「母親も弱くなったな」という程度の思いしかなかったが、よくよく考えてみれば我々の滞在中、母親は一人で炊事と孫守りに奮闘した訳だ。ウチの父親は家事は一切しないヒトだったので、遠くから見ていただけ。そのため、負担がすべて母親に掛かったのだろう。私なんぞは、夕方の小一時間の労働でへばって、それだけでメゲているのに、ウチ母親は数日の滞在期間、気と体力を使っていた訳だ。そりゃ、病気にもなるわな、と20数年経った今になって納得した。今日は線香を1本余分に立てて、朝のあいさつをした。

 

ところで我が孫は、つかまり立ちは完全に出来るようになり、そこから少し伝い歩きができるようになった。まだ、足取りはおぼつかないのは、仕方がない。ハイハイで進むスピードが増して、目を少し離すとお気に入りのコーナーに一目散に行く。医薬品やCDなどが置いてあるラック、和室の仏壇周辺、机の下の本や書類の山、流しの横の空のペットボトルが置いてある辺り、以上がお孫さんのお気に入りの場所でごわす。リビングの真ん中のスペースに、彼専用のおもちゃコーナーを特設してあるのだが、そこではこちらが期待するほど熱心に遊んでくれない。我々が困ったり、心配したりする場所やモノで遊ぼうとする。

 

そんなこともあり、2週間ほど前に、娘が赤ちゃん用のサークルゲージを買ってきてリビングに設置した。ちょうど彼専用の特設コーナーを取り囲むようにできるので、便利であると思ったのだが、彼をその中に入れて一人にさせると、閉じ込められた気持ちになるのか、とたんに不機嫌になる。結局、中に入って一緒に遊ぶハメになる。それでサークルにしないでリビングの中で行って欲しくないところを防御するゲージとして使うことにした。

 

子どもは思うように育たない、とよく言うが、確かにこちらが考えているように子どもは行動してくれない。赤ん坊のうちは、なおさらである。確かに忍耐と体力がいることが、実感として分かる。ただ、ウチは娘プラス、ジジ、ババの3人体制なので、娘も時にはジジ、ババに頼りながら、お互い気を紛らせて孫に関わることができるが、これを一人で背負い込むと大変であろう。

 

孤育ては、虐待につながりやすい。近年、幼児虐待が増えているのは、孤育ての増加と関係がある。それらは、正比例の関係にある。今日の朝刊に偶々、無認可保育園での乳児虐待疑惑の件で、保育士の元職員が逮捕されたというニュースが載っていた。このケースの場合、何人かの乳児を夜中に一人で面倒を見ていたのである。泣き声が続き、それが止まらない状況の中で事件が起きたことが想像できる。子育ては大変であるがゆえに、その子を取り巻くような人間関係を幾重にもつくるように親は考えなければいけない。