子育てまごまご日記 (その16)

我が孫も今日で1才+5カ月となる。今は、近くに娘夫婦と離れて暮らすようになった。ダンナが休みの火曜日と水曜日以外はこちらの家に来る。「通い婚」というのは聞いたことがあるが、さしずめ「通い孫育て」ということだろうか。孫が来る日は、私の部屋と寝室のドアを閉めてから勤めに出ることにしている。なぜって? 部屋のものが辺り構わず引っ張り出されて悲惨な状態になるからだ。昨日は、私の部屋でおしっこをした。お風呂に入るので紙パンツをはずして、しばらく経ってからの文字通りの「珍事」であった。少しの油断も見逃さない攻撃力に感心をした。

 

子供は好奇心の固まりなので、ある程度のイタズラは仕方がない。特に、男の子はある程度自由にさせた方がいいので、多目に見守っているようにしているが、散らかされていいものと、悪いモノがある。そんなことで、孫が来る日は、寝室と私の部屋のドアだけを閉めて出かけることにしている。

先日、リビングのCDレコーダーをいじくっていたので、離れていた所に置いてあった15センチ位の高さの不動明王銅像を孫の目の前に移動してみた。それを見るや否や、後ずさりをして、すぐにギャン泣き。この年齢で恐怖心というものがあるのだな、と一人感心していると、「お父さん、何をしたの」と言うので振り返ると、今度は娘が不動明王になっていた。

 

ここにきて、大人の言葉を単語ではなく、文章として理解できるようになった。つい2.3日前の風呂上がりの後、「紙パンツを取ってきて」と言うと、紙パンツが入った籠の所まで行き、1枚摑んで渡してくれた。「すごい」と言って褒めまくりました。するとニコニコ笑いながらまた1枚持ってきた。「有り難うね、もういいよ」と言うと、また1枚。この後、何回か繰り返した。

 できないことが、できるようになる。考えてみれば、すごいこと。小さな一歩でも、積もり積もれば大きな一歩になる。大事なことは、周りの大人が小さな一歩、と分かることが重要。そのためには、日々子供のことに関心を寄せて見守っていることが必要。そして、子供がまた次の一歩を勇気をもって踏み出すことができるように、励ましてあげる。単純なことだけど、これが子育ての基本であり、何もこれは幼児期に限らず、ある程度の年齢の子供にも当てはまる考え方だと思う。

 

 食事はよく食べるし、野菜もよく食べて偏食もないので、今のところ問題はない。ほとんど手づかみだが、スプーン、フォークも少し使うことができるようになった。食欲もあり、よく食べるのだが、身長がもう少し欲しい、と娘はぼやいていた。

 

 

子育てまごまご日記 (その14)

我が孫も今日で1才+3カ月となる。歩くスピードが速くなった。少し不安定なところがあり、まだ走ることはできない。

大人の言葉を少し理解できるようになった。例えば、「クック履いてお散歩行くよ」と声かけをすると、玄関まで行って自分の靴を持って履かせろという仕草をする。

 

自己主張を具体的にすることができるようになった。何かを取って欲しい時、「指さし」して必死の形相で、意味不明の言葉を叫びながら自分の気持ちを伝えようとする。

昨日は、母乳が欲しくなったのか、娘にバスタオルを渡して何かを訴えかけるような仕草。リビングで母乳をバスタオルで隠して与えていることを覚えていて、自分で探して持っていっていった。断乳をしたいと思っている娘は、苦笑い。仕方がないな、という表情で母乳をあげていた。前歯が目立つ位に生えているので、断乳をしなければいけないと思っているのだが、いかんせん孫はいまだに母乳を欲しがる。

 

その辺りについて調べてみると、日本は共働きや保育園に預けるという事情がからんでいるためだと思われるが、世界的に見ると断乳が早めである。実際にWHO(世界保健機構)ガイドラインは、2歳児になるまでは母乳を与えるように指導している。厚生労働省の「授乳・離乳の支援ガイド」(2007年改訂)でも「いつまで」とは明記しておらず、赤ちゃんに合わせるようにとしている。

 

それはともかく、先日はジジ、ババの2人で朝から夕方まで孫の面倒を見た。娘が友人の結婚式に出席するというので、朝からドレスでお出かけをしてしまったのである。ママと離れる時に泣くかな、と思ったのだが、それはなく、バイバイをすることができ、スムースにタッチ交代できた。

    次はいかに過ごすかが問題である。1日家の中では、もつはずがない。動物園に行こう、ということで車に乳母車を積み込んで出発した。

 

   初夏の太陽が照りつける日曜日。孫にとっては初めての動物園。ジジ、ババにとっても、久しぶり。開門前から大勢の親子づれで賑わっていた。デートを楽しむカップルの姿も散見される。園側のはからいで、開門が10分早まって920分となった。孫をババがダッコバンドで抱え、私は乳母車を押して、出発進行。

  坂道が結構続く。乳母車を押すふりをして、実はつえ代わりに利用している。炎天下の道を歩くのは、大変だと今さらながら自覚する。モルモット、うさぎといった小動物は余りよく分からないらしい。チンパンジーのところに辿り着いた頃には、孫は1回目のお昼寝タイム。その間に、ゾウがいるところまで移動して、しばしの休憩。

 

目覚めた後、大きなゾウを見て喜んでいた。あの位大きいと分かるのだろう。次はキリンの所に行く。ちょうどエサの時間に出くわした。フェンスの近くでエサが与えられるため、それを目当てにキリン達がやって来る。そのため、よく分かる。

 

キリン見学を終えて時計を見ると11時半。午後のお昼寝もあるので、この辺りで切り上げよう、ということになり帰路に着く。わずか数時間のお出かけであったが、体力が落ちていることを実感してしまった。

子育てまごまご日記 (その13)

我が孫も今日で1才+2カ月となる。移動手段としてのハイハイはしなくなった。「かくれんぼ」のような仕草をする時と、何かモノを探す時にハイハイをする程度である。

歩いていることが当たり前の風景として、受け入れられるようになった。昨日も、玄関で靴を履かせてもらって、マンションの通路を56m歩いてエレベーターに乗り込むまで一人ですることができた。

と言っても、「指さし」が始まっているので、玄関前の鉢植えの花を指さして、「あ」「お」と言いながらのごあいさつ。途中にあるクーラーの室外機を指さして一時停止、よその玄関先にあるネズミのキャラクターの鉢植えのモニュメントにも人差し指で「指さし」確認を使ってのごあいさつ。

最後、エレベーターに乗り込んで、正面の鏡の中の自分にごあいさつ、と忙しかったが、ダッコ、おんぶ、手を引くことなく、一人でできた。

ちなみに、引率者はジジ、ババの2名、娘は玄関で靴を履かせてからお見送り。その時も、「バイバイ」と手を振り、母から離れて「3千里」。1階の集合ポストまでの往復の長旅を無事行うことが出来た。メデタシ、めでたし。

それに味をしめたのか、今朝、私が出かける気配を察すると一人で玄関に行き、私の革靴を持って待っていた。昨日の母からの自立の旅立ちが自信になったのだろう。「かわいい子には、旅をさせよ」とは先人の言葉であるが、至言である。ちょっと、オーバー。

 

意味不明の言葉を発し続けることがある。食事中も言葉を発し続け、食べたいものがあると「指さし」をして食べさせろ、という仕草をする。気を引くものがあっても「指さし」して、取れと言う仕草。そのたびに、「アアー」と金切り声で叫ぶので、うるさいと言えばうるさい、賑やかと言えば賑やかである。

それを傍らでニコニコ笑いながら見ている、という按配である。すると「お腹が空くとイライラするみたい」「昨日も支援センターでみんなのこと、我関せずで、ひたすらマンマを食べていたのよ」と娘。「お腹が空いて、イライラするのはあんたにそっくり」と久しぶりのオババの反撃の一言。そんなの遺伝するのかな、と考えていたら、「あなたの若い頃、そうだったじゃあない」と追い打ちの一言。「どうしてイライラするのかって教えてあげたら、あっそうかって、感心してたじゃない」。そうでしたっけ、はるか昔のことで忘れてしまっていた。

そういえば、よく亡き母は言っていた。「似なくてもいいところが、似る。似て欲しいところは、似ない」と。

 

「学ぶとは真似ること」。誰の言葉かは知らないが、いろいろ真似ができるようになった。娘がよくストレッチをするのだが、それを真似て前屈のストレッチをしていた。

ゴミ箱にモノを捨てることを覚えたので、大事なモノも捨ててしまう。ゴミ箱の蓋を常時閉めるのが、我が家のルールとなっている。

 

子育てまごまご日記 (その12)

 

我が孫も今日で1才+1カ月となる。歩くことが、この1カ月で随分上手になった。まだまだ不安定でよく何かに引っかかってコケたりするが、すぐに立ち上がって内股気味に歩き始める。歩くスピードも速くなった。ハイハイは殆んどしなくなった。

息子は体重が重かったため、この時期でもハイハイをしていた。歩き始める時期は違うが、歩き始めたと思った途端、すぐに走り始めたので、孫も同じだろうと思っている。

 

移動スピードが速くなったため、油断をすると、突然現れてモノを持ち去られてしまう。リモコン、ケイタイ、電話の子機といった類のものが、何故だか好きだ。つい最近もテレビでNHKの「直虎」を見ていたところ、ポケットのリモコンを目ざとく見つけると取り上げて、チャンネルを変えられてしまった。2度続けて妨害されたので、内ポケットや脇の下、お尻の下に隠すのだが、見つけて取ろうとする。

執着心というか、こだわりが出てきたので、目的の場所があり、自分の行く手を遮る扉があっても、それが引き戸であれば指を隙間に入れたりして開けようとする。ただ、引き戸というものは右から左に開けるものだと思っているらしく、左から右に開ける引き戸なのに、それも右から開けようとする。そして、上手くいかない時は、最後に泣き叫ぶ。

 

上の前歯が2本生えてきて、下の前歯も少し見える程度に生えてきたが、断乳はまだしていない。夜泣き、朝泣きもする。オババが「昨夜は私がリビングで5分間お守りしたのよ。泣き止まないので、娘に預けたら泣き疲れたのか、すぐに寝ちゃった」と言っていた。

 

言葉らしき言葉は、まだしゃべらないが、最近は何かモノを落として、「アー、ア」とよく言う。大人が何かいたずらをしてモノを散らかした時に「アー、ア」と言うのを口真似しているのだと思う。

 

バイバイを両手ですることができる。前は、意味が余り分からないまま片手を片手間のように振っていた(一応しゃれです)が、もう意味も分かった上で手を振っている。朝のご挨拶もできる。こちらから声掛けをして、「おはようございますは?」と聞くと、少し膝を曲げてポーズをとることができる。

 

その時の雰囲気を察してぐずることがあるので、勘はいい方だと思う。先日、娘の友人が家に遊びに来た当日のこと。朝から機嫌が良くない。私がダッコしようとしても嫌がる。何かを感じてしまったようだった。

 

これは私の持論であるが、日本人の男の子はおだてて育てなければダメ、と思っている。職業柄、多くの生徒と関わってきたが、男の子と女の子を同じように考えると失敗する。感覚的な表現かもしれないが、男の子の方が女の子よりも、1つ余分に褒めたり、おだてたりする必要があると思っている。女の子の方が男の子より適応力が強いので、飴玉1つ少なくても大丈夫なのである。だから実際に例えば「ひきこもり」の男女比を見てみると、7対3になっている。男の方が女子の倍以上なのである。

実は私に年上の男の従妹がいるが、「ひきこもり」である。「ひきこもり」歴30年位になる。もちろん結婚はしていない。詳しいいきさつを把握してはいないが、社会に働きに出たものの、そこで自信を喪失して、それを家族が理解を示さず、それから籠るようになってしまったとのことである。日本人の「ひきこもり」の数は全国で約300万人と言われている。海外の他の国と比べても、異常な数である。

かつては、スパルタ教育、「スポ根」が言われ、何でもかんでも厳しく育てろと言われたことがあったが、日本人には合わないし、間違った方向に行く危険性が大きいと思っている。

子育てまごまご日記 (その11)

 

我が孫も今日で1才となる。長い様であっという間の1年であった。忘れもしない、1年前の222日、1133分に家族の仲間入りをした。すべてぞろ目なので思わず笑ってしまったが、それ以来、ジジババが関わってきた。それなりに楽しく、それなりに大変な1年であった。ただ、私が「大変」と言うと、娘から何か言われそうだ。一番大変な思いをしているのは、当のご本人だからだ。

 

夜泣きは、まだ毎日のようにする。よたよたと不安定ながら歩くことができるようになった。ハイハイとあんよを組み合わせながら、目的の所まで移動しようとする。割合としては、5対5くらいの感覚である。ただ、一度歩き始めると、走り始めるまでが早いので、この割合は日々急激に変わると思う。

生まれたての頃は、これで本当に1年後は歩き出すのだろうか、と思う位の存在であったのが、不思議とそうなってしまうのには感心する。

 

行動範囲が少し広くなったため、われわれの守備範囲も広げざるを得ない。おもちゃ以外のモノがおもちゃになるため、気が抜けない。引き出しを開けて、中身をすべて出すのは、お手のもの。ゴミ箱あさりも得意である。最近では、テーブルの上のものを摑んで床に落とすという芸を身に付けた。気になるモノがあると、それを取ろうとする。中には危ないモノ、例えばハサミであったりボールペンであったりする。前は、何かに気をそらせて誤魔化しができたが、最近は執着心が出てきて、しばらく覚えているようになった。

 

言葉は片言を話すようになった。「マン」「バー」など擬音を発するが、まだ明確な単語にはなっていない。モノを持って、それをあげる仕草をするので、「有り難う」と言ってもらってあげると、嬉しそうにする。そして、それを「あげるね」と言って渡すと、受け取ることができる。それを何回か同じことを繰り返したりして遊んであげる。

先日は、『寝ない子だれだ』の絵本をたまたま摑んだので、読んであげた。普通に読んだのでは面白くないので、表情を少しオーバーにして「いえいえ夜中はオバケの時間、寝ない子……」と声色を変えて言った途端に泣き出してしまい、娘に叱られしまった。

 

食事はスプーンで口まで運んでもらって食べている。バナナなど手に持たせて食べさせることもあるが、食い散らかしてしまったり、床の上に投げてしまったりする。テーブルに赤ちゃん用の椅子を固定して、それに座らせる。落ちると危ないので、ベルトで固定をしているのだが、テーブルの上に気になるモノがあると、それを取ろうとしてそこから脱出を試みることがある。危ないこと、この上ない。

 

「子供は音声で話すだけでなく、それにおとらず活発な身振りででも話をする」これはルソーの『エミール』の中の1節である。食事の時にも全身で感情を表現するので、テーブルがよく揺れる。そのためお椀が揺れて、中の味噌汁が飛び出してしまったことがある。最近はよく揺らすので、それが慣れっこになってしまい、先日は地震が実際に起きていたのに、誰もがしばらくは、孫が揺すっていると思っていた位である。

 

ところで、今日は1歳の誕生日ということでパパ、ママ、ジジ、ババでお祝をすることになっている。昨日は寝かしつけた後、娘が今日の「誕生会」で使うデコレーションの絵を描いていた。準備万端整った。後はワシが家族の寿司代を支払えば終わりである。

子育てまごまご日記 (その10)

 

早いもので、あと1か月経つと1歳の誕生日を迎えるところまで来た。昨日、娘とババ様の大きな拍手と「すごい」という歓声が、リビング中に鳴り響いた。何があったのかと、跳んで行くと「6歩も歩いたのよ」とかなり興奮ぎみで話をしてくれた。本人も心なしか嬉しそうであった。

私に見せたいと思ったのか、娘がもう1回と言って、本人も試みたが上手くできなかった。ただ、孫もこれからほんのしばらくの間、歩いただけで褒められる栄光の日々を過ごすことができる。

 

考えてみると息子や娘たちが歩き始めたその頃を、殆ど覚えていない。人間は成長するにつれて歩くし、そのうち走り始め、それは当たり前のことで、驚くことではない、と思っていたのであろう。それでは駄目だったと今になって反省している。何か出来た時は一緒に喜んであげなければいけないし、泣いている時は何故悲しいのか、その子の目線から物事を見なければいけない。大人は自分のモノサシを持っているが、そのモノサシをあてはめるのが教育ではなく、その子の状況に応じてモノサシを変えてあげる必要がある。どこで変えてあげるか、その判断が難しいが、子供に寄り添っていれば自然に感じるものであると思っている。上から目線とは、よく言ったもので、その反対がアンダースタンド。つまり、理解するためには下に立て、というメッセージをその英語の単語は教えている。

 

それに関して、ちょうどいい記事があるのでそれを紹介したい。今年の1月6日付の『東京新聞』の「筆洗」という欄に載っていた文章であるが、一部紹介をする。

その少女の寝室には、北向きの窓があった。窓から見える星空が、十歳の女の子を夢中にさせた。じっと見続けていると、星のめぐりが分かる。眠るのが惜しくなって、夜更かしをする。だから、お母さんは、大声をださなくてはいけなかったという。「一晩中、窓から頭を出し続けるのはやめなさい」。だが、少女は見続けた。

この少女が米国の天文学者のベラ・ルービンさんで、もし生きていたならばノーベル賞を受賞できたと言われているのだが、彼女の幼少期のエピソードである。彼女は宇宙の謎の物質「ダークマター」が存在する証拠を見つけるという功績を上げている。

この話を取り上げる理由は、「モノサシ」のあて方の例として考えて欲しいと思ったのであるが、お母さんは自分の「モノサシ」で「寝なさい」と叱っている。親として当然の行動かもしれないが、場合によってはその子の才能の芽を摘み取ってしまうことがある。ただ、彼女の場合は構わずに、夜空の星をいつまでも見続けた。そして、お母さんは娘が余りにも星に興味を示すので、いつの間にか寄り添って、一緒に星を眺めていたと信じたい。

 

孫のことに話を戻す。この1ヶ月でできるようになったのは、首を横に振ってイヤイヤの仕草と、「ばあば」「あんぱんまん」といった言葉らしきものを発するようになったことである。それぞれ意味は殆ど分かっていない。娘のリクエストに応えて首を振ったり、言葉を発しているという感じである。

 

人見知りも夜泣きもまだする。というか、神経が細かいので、当分続くのではないかと思っている。子育ての大変さをこの歳になって感じさせてもらい、いい勉強をしていると思っている。 

子育てまごまご日記(その8)

 

3才までは神様の様に育てろ」というインドの諺があるそうだ。日本にも「三つ子の魂百まで」というのがある。民族は違えども、三という数字が共通しているのが面白い。両者に共通しているのは、三歳までは人間になりきっていないけれど、その子が人生の旅立ちの準備をする大切な期間だから、心して育てろというメッセージであろう。

 

我が孫も今日で3/4才となる。ハイハイのスピードがアップして、「母を訪ねて三千里」をよくするようになった。「ちょっと、見ててくれる」と娘。分かった、と言ったものの、ウチの神様、いやお孫様は、いなくなったことを察すると、急に不安な表情を浮かべる。そこから行動パターンが3つに別れる。

 

一番多いのが、「母を訪ねて三千里」コース。いなくなった途端に、半べそをかきながら母の行った方向にハイハイをするというパターン。ただ、的確に場所が特定できないため、途中で挫折することが多く、併走してハイハイをしている我が輩に助けを求める。

第二のパターンは、自分に捜す元気がないのだろう。抱っこをしろとばかりに、我が輩によじ登ろうとする。そして抱っこをすると、身体で母の所へ連れて行けと懸命に表現をする。

第三のパターンは、いなくなっても気にすることなく遊ぶ、というものである。ただ、この最後のパターンは、機嫌が良くエネルギーが余っているので、気になる所に向かってハイハイをし、目的地に着くとその辺りのモノを舐め始め、時には振り回し、散らかし始めるというものである。まあ、これも大事な勉強なので、大目に見守っていると、娘が乱入して来る。「お父さん、それは汚いから舐めさせちゃあ、ダメ」。娘は孫を叱りながら、私を叱る。そして、舐める学習の時間は、そこでお開きとなる。

 

昨日は少しであるが、一人立ちをした。隣のバアバが破顔一色で「すごい、すごい」と喜んで手を叩いていたので、本人も嬉しそうであった。「這えば立て、立てば歩めの親心」とはよく言ったものであるが、立てば転ぶ心配をしなければならない。ただ、変なことを言う様だが、安全な転び方を覚えるために、転ぶことも必要である。転ぶ時に、手が出るようになれば、しめたものであるが、手の着き方がある。とにかく、転んで打ち所が悪いと、大きなケガに繋がる。早ければいいというものではない。しっかり筋力を作ってから、ゆっくり歩いて欲しいと思っている。

 

1ヶ月前と比べると、「察知」をすることができるようになった。感情が分化しているのであろう。抱っこをされている本人の背中に手を添えただけで、引き離されることを察知して、しがみ着こうとする。構わず引き離すと、泣き出しそうになる。神様を泣かす訳にはいかないので、また戻す。そしてまた、フェイントをかけるように肩に手を掛けてあげる。また「察知」する。明らかに意志があることが分かる。余り何回もやると、神様をからかうことになるので、適当なところで切り上げる。

 

 ジイジとバアバの抱っこ、どちらも同じように抱っこをしているのだが、何故かバアバの方が人気がある。接する時間は、2人ともそんなに変わらない。にもかかわらず、好き嫌いの差において、少し開きがあるように思える。この謎を解くために、これから1ヶ月間、孫を観察しようと思っている。

ところで、最初のインドの諺であるが、あの続きがある。「16才までは召使いの様に育てて、その後は友だちの様に育てなさい」とのこと。なかなか含蓄のある言葉だと思っている。